旧中山道 The Old Nakasendo Road
旧中山道を馬籠宿から妻籠宿まで走りました。道を歩いている人たちの邪魔にならないように、なるべく早朝に出発しました。運よく、ほとんど人に出会わずに済みました。馬籠宿に戻ると、多くの人が歩いていましたが、前に言ったように、県道7号線を使って帰りました。
道沿いにはクマ避けの鈴が設置されていました。早朝は野生の獣の出没しやすい時間帯なので、鈴をしっかりと鳴らして進みました。 さらに、石畳の道はその道の魅力を高めていました。 上記の写真の石畳は現代的に見えますが、後で昔のままの石畳の道に出くわしました。
日本では時々、石を一つ一つ積み上げて石塔を作る「石積み」を見かけます。。なぜ人々がこれをするのか不思議に思います。単なる趣味でしょうか?それとも宗教的な目的があるのでしょうか?いずれにせよ、見かける場所にはいつも神秘的な雰囲気を与えてくれます。
道中にはたくさんの美しい花が咲いていました。写真を全部ここに載せることはできないほどです。これはサクラソウです。
馬籠峠の頂上(標高790メートル)。妻籠側の斜面の方がはるかに長いので、馬籠から妻籠への方向は歩きやすいです。グーグルアースによると、馬籠の高札場は約標高645m、妻籠の高札場は約427mで、標高差は200m以上あるようです。確かに、馬籠から妻籠へ行く方がずっと楽に感じられます。
うーん!それはどうかな?私に言わせれば、馬籠から妻籠までの全行程が幸せのパワースポットでした。
川沿いや森の中を走るのはとても気持ちよかったです。
The Tateba Teahouse stood midway between lodgings, providing travelers with rest and convenience. Ikkokutochi, located between Tsumago-juku and Magome-juku, once boasted about seven households, but now only the Makino Family Residence remains. Dating back to the late Edo period, the Makino Family Residence was initially a large structure with a frontage width of about 19 meters, but it has since been reduced to about 14.5 meters with the southern side cut off.
立場茶屋
立場茶屋は宿と宿の中間にあって、旅人に休息と利便を与えた。一石栃(いっこくとち)は妻籠宿と馬籠宿の中間に位置し、往時は七軒ほどの家があって栄えていたが、今ではこの牧野家住宅一軒だけになっている。
牧野家住宅は江戸時代後期の建物で、当初は間口が十間半もある大きなものであったが、現在は南側が切り取られて、八間に縮小されている。
立場茶屋はなかなか面白いです。建物は約250年前に建てられたと言われています。内部には囲炉裏があり、煙が梁に立ち上っていました。煙突がないため、梁や屋根組みは煤で黒ずんでいました。お茶は無料でしたが、寄付箱を見つけてこの貴重な場所に寄付しました。ここは是非とも立ち寄るべき場所です。
明治末に佐賀県で考案されたとされる、わら縄をなうための機械です。2個のラッパ状の受け口からわらを挿入し、よりかけ装置を通って完成した縄が巻き取り装置で巻き取られていきます。動力にはフットペダルを使用します。
A) How big do you reckon that tree is?
B) Oh, that tree is 300 bathtubs big.
下記はこの木についての情報板に書かれていた内容です。面白かったのは、このサワラの木から300個の風呂桶が作れると書かれていたことです。木の大きさを風呂桶の数で表現する会話を想像しました。
A) あの木って、どれぐらい大きいんやろ?
B) あの木?300個の風呂桶が作れるぐらいの大きさやで!
樹齢 約三〇〇年
胴廻り 五・五米
樹高 四一米
材積 三四立方米
椹材は耐水性が強く、風呂桶や壁板、建具等に多く使われますこの木一本で約三〇〇個の風呂桶を作ることができます。
かもいぎ(神居木)
この椹の下枝が立ち上がって特異な枝ぶりとなっていますがこのような形の枝を持った針葉樹を神居木(かもいぎ)といいます。
昔から山の神(または天狗)が腰をかけて休む場所であると信じられていました。
傷つけたり、切ったりするとたちまち、祟(たた)るといい伝えられ、杣人(そまびと)はこの木の下を通ることもいやがりました。
この木のように両方に枝の出た木を両神居といいます。
Sawara (Cypress) Great Tree
- Age: Approximately 300 years
- Girth: 5.5 meters
- Height: 41 meters
- Volume: 34 cubic meters
Kamoi-gi (Deity Dwelling Tree) The lower branches of this sawara tree rise up, forming a unique branch structure. Coniferous trees with branches shaped like this are called kamoi-gi (Deity dwelling trees).
It has long been believed that these trees are places where the mountain Deities (or tengu) rest. It was said that if you harmed or cut such a tree, you would immediately be cursed, and lumberjacks avoided passing under them. Trees like this one, with branches extending on both sides, are known as ryōkamoi (dual dwelling trees).
この滝には、滝壺に金の鶏が舞い込んだという倉科様伝説が伝わっている。また吉川英治 著『宮本武蔵』の舞台にもとりあげられている。
滝に向かって左が男滝、右が女滝である。滝周辺は険阻なため、道はしばしばつけかえられ、幕末頃までの中山道 は滝の下を通っていたものと思われる。現在滝上を通っている道が歴史の道である。
This waterfall has been cherished as a scenic spot and a place of relaxation for travelers since the Kiso Highway was opened. Although the height and depth of the waterfall and its basin have been reduced due to floods and landslides, they still retain their former appearance.
According to the Kurashina-sama legend, a golden rooster flew into the basin of this waterfall. Additionally, it is featured as a setting in Eiji Yoshikawa's novel "Miyamoto Musashi."
Facing the waterfall, the left side is the male waterfall and the right side is the female waterfall. Due to the rugged terrain around the waterfall, the path has often been rerouted, and it is believed that until the late Edo period, the Nakasendo Road passed below the waterfall. The current path above the waterfall is known as the Historical Path.
沿いにあるこのような刻まれた石碑は、日本の道の魅力と神秘性を高めます。真ん中が庚申塔、左は三面六臂馬頭観音だそうです。
石の多い急な坂道を想い荷物を運ぶため黒牛が使用された。その黒牛の供養塔である。この中山道に祀られた唯一の石仏(多くは馬の供養塔である。)
Gyutou Kannon
Black oxen were used to carry loads along the steep, rocky paths. This is a memorial for those black oxen. It is the only stone Buddha enshrining them on this part of the Nakasendo Road. (Most memorials here are for horses).
つたむらや。いつかこんな古い伝統的な宿に泊まってみたいです。この宿がいつ創業されたのかは分かりませんが、隣にある「諸人御宿 まるや」は1789年に創業されました。
この建物の外には「手打ちそば」と書かれた看板があります。おそらくレストランだと思います。しかし、 私の目を引いたのは屋根でした。こんなものは以前に見たことがありません。重い石がたくさん置かれています。妻籠のほとんどの家はかつてこのような屋根を持っていたようです。地元のなめらかな川の石が使われていました。その目的は、屋根が強風で飛ばされないように、屋根を重くすることです。強い地震が起こった場合、どうなるかな~。妻籠には非常に古い建物がたくさん残っているので、何世紀にもわたって使われてきたこの習慣は効果的なのだろう。
こちらの地域の川は、私が住んでいるところの川とだいぶ違って見えます。川底には、白っぽい巨石がゴロゴロしていて、透き通った水は少し青みがかったり、緑みがかったりしています。突然、ここでバーベキューをしたくなりました。
その3の終わりに、私の中山道ライドの動画が見られるよ!
Part 1 Magome-Juku Part 2 Old Nakasendo Road Part 3 Tsumago-Juku Part 4 Iwamura Castle Part 5 Sekigahara |