岩村城 Iwamura Castle
717メートルの標高にある岩村城は、江戸時代には日本で最も高い山城でした。この城は1185年に戦略的に重要な場所に建設され、その700年間にわたる使用の歴史は日本の城の中でも前例がありません。戦国時代には、天下を目指す織田・武田・徳川の接点に位置していまた。残念ながら、多くの日本の城と同様に、岩村城も1873年の廃城令により解体されました。しかし、石垣の多くは今も残っており、森の中を登りながら歴史を感じることができます。疲れて空腹でしたが、まずは城跡を探索してから、食事を求めて岩村の城下町へ向かうことにしました。
In 1610 the castle lord's residence was moved from the main keep to the foot of the mountain. Nowadays, this area is where the Iwamura History Museum is. The drum in this turret was used to signal the time to the residents of the castle town and also as a communication tool in times of danger, such as an enemy attack or a fire. There is a large free car park to the right of that turret.
江戸時代初期(1610年頃)に岩村藩主邸が建築され、藩主が岩村城本丸から移り住んだ。この櫓の太鼓は、城下町の住民に時間を知らせるために使われ、敵襲や火災などの危機時には通信手段としても機能しました。現在、この場所には岩村歴史資料館があります。その櫓の右側には広い無料駐車場があります。
① is where you can park for free at Iwamura Castle. There is a large car park in front of the Iwamura History Museum (Iwamura Rekishi Shiryokan), and it is also the entrance to the path up the mountain to the main keep.
④is where the Fujizaka cobblestone path is.
⑩ is where the 'well of mist' is located.
⑮ is the center keep of Iwamura Castle.
You can drive to the main keep, but in my opinion, you can't really appreciate the true essence of Iwamura Castle unless you walk up from the bottom.
① 岩村城で無料で駐車できる場所です。岩村歴史資料館の前には広い駐車場があり、また、本丸への道の入り口もあります。
④「藤坂」の石畳道がある場所です。
⑩ 「霧の井戸」がある場所です。
⑮ 岩村城の本丸です。
車で本丸まで行くこともできますが、私の意見では、下から歩いて登らなければ、岩村城の本当の魅力を味わうことはできません。
- One of Japan's 3 Great Mountain Castles.
- One of Japan's top 100 Castles.
- Mino Province (Japan had 68 provinces. Now it has 47 prefectures.)
In 1572, Akiyama Nobutomo, one of the 24 generals of Takeda Shingen, attacked the castle again, and Otsuya-no-Kata surrendered the castle and agreed to marry Nobutomo. She also sent Bomaru as a hostage to Takeda Shingen.
After the 1575 defeat of the Takeda at Nagashino, Nobunaga seized the opportunity to reclaim Iwamura Castle. After a 5-month siege, Nobutomo negotiated a surrender that guaranteed their lives would be spared. Nobunaga however did not honor their truce and executed Nobutomo and Otsuya-no-Kata at the Nagara River by upside-down crucifixion. This cruel punishment was a sign of Nobunaga's anger at his son being sent to Takeda.
Otsuya-no-Kata was popular with her people due to her leadership and strategic decisions to protect them. Therefore, there are enduring cultural practices in Iwamura that honor her memory. For example,in keeping with the tradition of the "Town of the Woman Lord," blue noren (short curtains) hanging from the eaves of each house bears the name of the woman who resides there.
この写真は岩村歴史資料館の正面入口です。これらののぼり旗は本丸への道に配置されています。バリエーションは3つあります。「岩村城」と以下の3つの表記のうち一つが記されています。
- 日本三大山城
- 日本百名城
- 美濃国(日本には68の国がありました。現在は47の都道府県があります。)
1572年、武田信玄の二十四将の一人である秋山信友が再び岩村城を攻撃し、おつやの方は降伏して信友と結婚することに同意しました。彼女はまた坊丸を武田信玄への人質として送りました。
1575年の長篠の戦いで武田氏が敗北した後、信長は岩村城を取り戻す機会を掴みました。5ヶ月の包囲戦の後、信友は命が助かる条件で降伏を交渉しました。しかし信長はこの協定を守らず、信友とおつやの方を長良川で逆さ磔にして処刑しました。この残酷な処刑は息子が武田氏に送られたことへの信長の怒りの現れでした。
おつやの方はその指導力と住民を守るための戦略的決定によって人々に人気がありました。そのため、彼女の記憶を称える文化的な習慣が岩村には今でも残っています。例えば、「女城主の里」にちなみ、家の軒先の青い暖簾には、その家の女性の名前が書かれている。
石畳のこの区間は「藤坂」と呼ばれています。登り始める前から足が疲れていて空腹だったため、この道を登るのはちょっと大変でしたが、その努力は十分に報われました。岩村城は高低差が180メートルある急な地形に建てられました。登城口から本丸まで800メートルです。
The nickname of Iwamura Castle, Misty Castle, came from this well. When enemies attacked; people threw the secret treasure of the castle, snake bones, into this well and it is said that mist would immediately rise to protect the castle. Snake bones were stored in the treasure vault of the second bailey. There is a record which states that people dried snake bones for storing.
QR code: View of the Nishizaka Gate, the second bailey diamond turret, and the six-tiered stone walls of the main keep.
The six-tiered stone walls took their current form in the late Edo period, when additional stone walls were added to the lower sections to reinforce and prevent them from collapsing.
本丸はあの上にありました。岩村城の石垣の総延長は1.7キロで、石垣に使用された石の数は約40,000個です。石垣場所は31ヶ所でした。
Uzumi Gate Main Keep. Click the link to see a CG of the Uzumi Gate and Nando Turret
本丸埋み門。埋門と納戸櫓のCGを見るには、リンクをクリックしてください。
QR code: View of the bridge turret and the second bailey from the main keep.
おおっ!ここからは遠くに御嶽山(標高3,067メートル)が見えますね。この山は富士山に次ぐ日本で二番目に高い火山です。2014年に突然噴火したときのことを覚えています。警告もなく、63人が亡くなりました。それは蒸気噴火でした。これは、マグマや熱い岩と接触した地下水が急速に加熱されて膨張し、蒸気として爆発する火山現象です。
城の敷地を探検した後、岩村城下町を散策しました。これは岩村の本通りです。岩村城下町は重要伝統的建造物群保存地区です。ご覧の通り、地上には電柱や電線がありません。
It was 3 p.m. and I was starving. I saw a blue banner outside that said 'soba' so I poked my head into this shop. They were playing old songs on an old record player (which you can see down the back of the photo). I asked them if they had any food. They said they'd finished for the day. I must have looked disappointed, as the lady asked out the back if they could prepare some soba noodles for me. To my delight, they said 'yes'.
午後3時で、お腹がペコペコでした。外に「そば」と書かれた青いのぼりを見つけて、その店に顔を出しました。店内では奥の方に写っている古いレコードプレーヤーで古い曲が流れていました。食べ物があるか尋ねると、店員さんは今日は終わったと言いました。私ががっかりした顔をしたのでしょう、おばさんが奥に「そばができる?」と聞くと、店員は「はい」と答えてくれました。
熱いそばは苦手ですが、冷たいそばは好きです。これは空腹時にとてもおいしかったです。それに、蓬(よもぎ)の天ぷらももらいました。初めて食べた蓬の天ぷらでした。旅行中に新しい食べ物を試すのはいつも私の目標です。そのため、とても嬉しかったです。
勝川家の裏にある土蔵。勝川家は裕福な商人であり、彼らの江戸時代の住居には無料で入ることができます。この土蔵は岩村城郭の広い敷地から移築されたもので、江戸時代に建てられた「四戸前土蔵」と呼ばれています。四つの部分が連結しており、それぞれが異なる品物の収納に使われていました。さらに、「長室門蔵」は木材の収納に使われており、現在では非常に珍しい土蔵です。伝統的な日本の土蔵は、厚さ約30cmの土壁と瓦屋根で作られており、優れた断熱性と耐火性を備えています。そのため、貴重品、食料、商品を火災、盗難、自然災害から保護するのに適しています。
The building is about 300 years old and still retains its original appearance from the Edo period. Iwamura Brewery was founded in 1787 (237 years ago). Natural soft water, which is very important in sake brewing, is drawn from a 400-year-old well in the courtyard. Their signature brand is called Onna Joshu (女城主) meaning 'Lady Lord of the Castle'. You can see a cask of this sake in the photo. Since I was driving, I couldn't sample the sake, so I just brought some as a souvenir. However, since I was hot, I enjoyed an amazake (sweet sake) soft cream. Since they also had a kids' size, I gathered that it didn't contain alcohol.
この建物は約300年前に建てられ、江戸時代の姿をそのまま残しています。岩村醸造は1787年に創立されました(237年前)。日本酒の醸造に非常に重要な天然の軟水は、中庭にある400年前の井戸から汲み上げられています。岩村醸造の主要な銘柄は「女城主」です。写真にはこの酒の樽が写っています。私は運転する予定だったので、試飲することはできませんでしたが、お土産として購入しました。暑かったので、甘酒ソフトクリームを楽しみました。子供用サイズもあったので、アルコールは含まれていないとわかりました。
岩村醸造の前に立ち、岩村城跡がある山の方向を見ています。
宮津でよく行く喫茶店のためのお土産を探していました。岩村の松浦軒本店に入って、カステラケーキを見て驚きました。なぜかと思いながら、スタッフに尋ねたところ、なぜ岩村という日本中部の山岳地帯の町でカステラが名物なのかを聞きました。私はカステラが長崎でしか名物ではないと思っていました。店員の方から説明を受けると、江戸時代に岩村藩の医師が長崎で蘭学を学び、カステラのレシピを持ち帰ったことがその理由だと教えてもらいました。当時、カステラは病気に良いとされていたそうです。この話が面白いと思い、一つ購入しました。実際にとても美味しかったです。
その晩どこに泊まるか全く決めていませんでしたが、どうしても行きたかった関ヶ原に向かうことにしました。その途中で、内津峠PAに立ち寄り、夕食に「豚ニラ鉄板焼定食」を注文しました。これが大当たり!信じられないほど美味しかったです。
内津峠PAから見た夕焼け。ここから西へ向かい、美しい夕日を追いかけながら関ヶ原まで車を運転しました。とても満足した気持ちでした。
岩村城とその城下町は興味深いものでした。帰宅後、ブログを書くことでその地域や独自の習慣についてたくさん学びました。ですから、馬籠宿や妻籠宿と同様に、ゆっくりとしたペースで再訪して、再びあちこちを探索したいと思っています。もちろん、日本の他にも訪れたい場所がまだまだたくさんあります。「その5」では関ヶ原を探索します。ジェームズ・クラベルの小説に基づいた新しい『将軍』シリーズを見た直後で、関ヶ原を訪れることをとても楽しみにしていました。
Part 1 Magome-Juku Part 2 Old Nakasendo Road Part 3 Tsumago-Juku Part 4 Iwamura Castle Part 5 Sekigahara |