馬籠宿「中山道」 Magome-Juku, Nakasendo Samurai Road
侍の時代の日本歴史を探る旅。夜10時前に出発し、岐阜県にある馬籠宿には午前2時20分頃に到着しました。馬籠宿は、日本では「中山道(なかせんどう)」、多くの外国人には「サムライロード」と呼ばれる昔の街道の43番目の宿場町でした。江戸時代には、宿場町は旅人にとって、宿泊、食事、馬、人足など重要なサービスを提供していました。馬籠宿は、日本でもっとも保存状態の良い宿場町のひとつです。
馬籠宿で見た駐車場は、どこも無料でした。ここでの星空は、今まで日本で見た中で一番綺麗でした。でも、外は気温9度だったので、すぐに布団に潜り込んで、静かな山里でぐっすり眠りました。人混みを避けるために早起きをしたところ、恵那山 (2,191m) の美しい景色が広がっていました。
私の計画は、マウンテンバイクで旧中山道を馬籠宿から馬籠峠を越えて妻籠宿まで走り、帰りは県道7号線を使うことでした。片道は約8キロです。ご覧のように、馬籠宿は綺麗に保存されていました。電柱、電線、アンテナ、車もありませんでした。
道の傍らにはいくつか水車が稼働していました。水車は昔は穀物を粉にするために使われていました。ですが今はマイクロ水力発電(照明)や町並みの魅力を高めるために使われています。
江戸時代(1603-1868年)の日本では、公示板の一種である「高札場」が利用されていました。これは、幕府や地方の藩主が発令した法令やお知らせを一般の人々に伝えるための重要なコミュニケーションツールでした。
その2では、旧中山道を走って、馬籠峠を越えて妻籠宿へ向かいます。
その3の終わりに、私の中山道ライドの動画が見られるよ!